第四章 平成十八年四月〜五月 出会い(2)・超完全版2008-02-19 Tue 19:53
「さっきは悪かった。先生、緊張して学年を間違えてしまったよ。で、1時間目の授業は国語だっけ?うん、国語だね。国語の担当は誰先生ですか?」
「はあ?そんなことも知らないの?国語の担当も先生でしょ?時間割も確かめないで教室に来たの?信じられない。有り得ないわよ、そんなこと。いつまでも小説家の大先生気分でいるからそんなことになるのよ。分かりましたか?松江先生」 彩名にまたもや指摘されてしまった。これでは、どっちが先生でどっちが生徒なのか分からない。 「すまない。そうだった。1時間目も私が担任だった。じゃあ、これから10分程休憩時間を取りますから、その内にトイレなり準備なりして下さい。私は職員室で準備をしてますからまた来ます」 そう言って私は教室から出席簿片手に出て行こうとしたが、教室のドアの前に川角龍が本を持って行く手を塞いでいた。もしや―。 私は期待して川角に優しく声をかける。久しぶりに読者サービスでもするか。あまり求められたことはないけれど。 「先生、この本先生の本ですよね。実は兄の大吾が大ファンなんですが、残念ながらこのクラスの副担任でもある大吾は今日出張で学校には夕方しか戻れないんです。兄の代わりにサインをお願いできますか」 そう言って私に両手で指しだされた本はまだ出版されていないはずの最新作「河田裕平と天命館殺人事件 謎の連続殺人発生 館に集められた男女を襲う謎の殺人鬼 生き残るのは誰だ? 名探偵河田裕平が推理する思わぬ真相とは? 君はこの謎が解けるか? 読者への挑戦状付きでエラリー・クイーンへのオマージュとしても読めるミステリー界きっての若手実力派が放つ会心の本格推理小説」だった。我ながら土曜ワイド劇場並の長さのタイトルには辟易しているが、これぐらいのタイトルを出せば少しは読者も増えるかと思って、出版社に無理を言ってこのような恥ずかしいタイトルにしてもらったのだ。 それにしても、発売は来月だったはずだが。 「川角君、その本どこで手に入れたの。失礼だけど、まだ発売されていないはずだよ」 すると川角は緑の瞳を見張って、私に照れながらもこう言った。 「すいません、ばれましたか。実はこの本、彩名さんから借りたんです。彩名さん、出版社の方に知り合いがいるんですってね。で、松江先生の編集者の方からモニターとして感想を言う代わりに貰ったって言ってましたよ」 またか。藤倉の奴、また勝手に私の本を知り合いに渡したな。私の担当である藤倉は勝手に私の知らないところで発売前の本を宣伝の為に無料で知り合いに渡し、モニターをさせるという困った性格の男なのだ。 「そうか、藤倉が彩名に渡したのか。あいつ、どこで彩名と知り合ったんだ?まあいい。 ああ、ごめん。サインだったね。でも彩名の了承なしで勝手にサインしてもいいんですか? あとで私が怒られますよ」 「いや、大丈夫です。実は僕、ここだけの話。彩名さんのパシリなんです。自分で頼むのは嫌だから代わりに貰って来てくれと頼まれたんです」 川角が彩名のパシリ―? 私は目の前の美少年に同情しながら、本の表紙に『松江孝明』とサインした。 「ありがとうございます。これからも頑張って下さい」 と本を受け取りながら川角は丁寧に礼を言うと、急いで彩名の席に走っていった。 私はその様子を見て、川角が彩名のパシリであるという事実はあながち嘘ではないと知る。 「成程。あれじゃあ龍君が可愛そうだな」 と独り言を言うと、教室のドアを横に開き、職員室へと向かおうとした。 すると―。 「ちょっと、孝明君。これはないでしょ?」 と、声を掛けられたので振り向くとやはり彩名だった。見ると本の表紙を見てご立腹の様子だ。一体私は何回この少女に怒られるのだろうか? 「名前で呼ぶな。クラスのみんなに勘違いされるだろ?で、その表紙がどうしたんだよ」 「馬鹿。表紙にサイン書く人いる。ああ、私の目の前にいるか。先生、サインとか書いたことないの?普通こういうのって裏表紙をめくった何も書いていない厚紙に書くでしょ?そんなことも知らないでよく作家が務まるわね。あっ、そっか。先生の本なんか誰も読まないものね。オタク以外。だから生活に困って非常勤講師なんてしようと思ったの?悪いこといわないから、この学校からさっさと出て行って方がいいわよ。この学校がわけのわからない新興宗教の寄付で経営が成り立っていることぐらい知ってるでしょ?先生みたいな世間知らずは家に引きこもってオタクが泣いて喜ぶ推理小説でも書いてた方が身のためよ。お金のことなら心配ないわ。いざとなったら、うちの姉の紐にでもなればいいんだから」 17歳の彩名に私の存在価値を全否定され多少腹が立ったが、彼女の言うことはほとんど当たっていたので情けなくも何も言い返せなかった。確かに今は亡きベストセラー作家矢祭の全財産を所有している彩名の姉、紅音はいまや世界の大富豪の仲間入りをしており、生前の矢祭と親交があった私には彼女を頼ることもけして不可能ではない。 しかし、私は金に困って非常勤講師をしているわけではない。知り合いに頼まれたのだ。 その知り合いはこの学校の関係者の一人で、ここでは残念ながら名前を出すことはできないが、その知り合いが言うには、この学園の元教師で前年度の1年A組の教師Aが 突然、春休みに休職届を出した為、今年度の人員が不足しているのだという。 本当は私も今年から来年にかけて次回作の執筆や同時期にベストセラー作家の富士宮からの依頼もあったので、ここはキッパリと断ろうと思っていたが、その知り合いに先生しか頼れる人がいないんですと言われ、週3回だけクラス担任と国語科の授業を請け負うという条件で了承した。その為、執筆は寝る前の数時間。富士宮の依頼のほうは学校が休みの土日祝日に行い、その他の平日は探偵の河田に任せることにした。 「こら、孝明。また、ぼーっとしてる。まったく、私のような美少女を前にして他のことを考える神経が私には理解できないね。大体先生には緊張感がないわ。あと、もっと一人一人の生徒をよく見て。A組だからといってちょっとほかの人より頭が切れるだけで、考えていることはまだまだガキよ。まずは、生徒に舐められないこと。すでに今日の失敗で舐めてかかっている奴も中にはいるわね。さて、そろそろ授業が始まるわ。予鈴がなる前に早く職員室に行って準備してきなさいよ。先生」 彩名に言われて私はハッとして腕時計を見る。午前8時35分。40分から1時間目が始まるのであと残り5分しかない。急いで職員室に向かうことにした私は小走りで彩名を教室に残し、すでにほかの生徒が廊下に出る為開け放たれた教室のドアを抜けた。 私は教室を出ると脇目もふらずに廊下を抜けて、職員室に向かう。 約3分程かかって1階の職員室に着くと、すぐさま窓際の自分の机に小走りで向かった。 「先生、松江先生でしたよね。非常勤の」 国語の教師用教科書を探していると、後ろから声をかけられた。 振り向くとそこには日本史教諭で第3学年主任の牙城秋彦が立っていた。 私は龍宮学園勤続十年のベテラン教師に挨拶する。 「おはようございます、牙城先生。先生も今から授業ですか?」 牙城はしかし自黒の顔を真っ赤にして、 「いやいや、私はこれから隣町の高校に研修ですよ。あっ、すいませんね。もう授業が始まってしまいますよね。お引止めして申し訳ない」 と答えた。私は牙城に一礼したあと、 「では、私は授業がありますのでこれで失礼します」 と返し、職員室を後にした。 |
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